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蒲郡の歴史と文化財 蒲郡駅の開設

ページID:0126940 更新日:2015年7月11日更新 印刷ページ表示

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蒲郡駅の開設

東海道線の浜松―名古屋間が開通し、蒲郡駅が開設されたのは、
明治19年(1886)9月のことです。

東海道線は、はじめから蒲郡を経由すると決まっていたわけではありませんでした。
当初の計画では、旧東海道筋、つまり現在、名古屋鉄道が走っているルートを通す予定だったそうです。
しかしながら、御油・赤坂から岡崎へいたる道は、地形がせまく、坂もきついため、
当時の技術では、鉄道を走らせることが困難でした。

そんな折、神ノ郷村出身で、当時、宝飯郡役所に勤めていた永島藤六郎は、
「蒲郡ルート」を主張し、明治政府の鉄道関係者に対し、次のように進言しました。
「小坂井より西方・蒲郡・深溝を経て、岡崎に至り候時は、
ほとんど平坦、急勾配を要せずして、工事容易ならん」、
すなわち、蒲郡ルートは、地形も平らで、工事も簡単であると。

藤六郎の家は、代々、神ノ郷村の庄屋を任されてきた家柄であり、
藤六郎自身も、地元の人々にみかんの栽培をすすめるなど、地域のために尽した人物でした。
旧東海道筋では、「鉄道に客をうばわれて、宿場がさびれてしまう」「農作物が汽車のススでだめになる」といった
反対運動があったといわれていますが、先見の明に優れた藤六郎は、
地域の発展のために鉄道は不可欠と考えたのでしょう。
駅の開設は、蒲郡の観光・産業の成長に大きく寄与しました。

がまごおりえき
明治末年から大正年間ごろの蒲郡駅のようす