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蒲郡の歴史と文化財 古代の塩作り

ページID:0127061 更新日:2015年8月6日更新 印刷ページ表示

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古代の塩作り

塩津中学校の西側、なだらかな斜面の中腹に、月田遺跡があります。

昭和58年に、西迫地区のほ場整備の最中に発見された遺跡で、翌59年に発掘調査が行われました。

発掘調査の結果、みじかい棒のようなもの(写真参照)が何本も出土しました。これは、
塩づくりに用いられた土器―製塩(せいえん)土器―の破片で、今から1200年ほど前に作られたものです。
製塩土器は、「うつわ」と「あし」の部分からなっています(図参照)。

出土した破片は、すべて「あし」にあたる部分です。製塩土器は地面に突きさして使われました。
「うつわ」に海水を入れ、天日で水分を蒸発させて、塩を作ったと考えられています。

ところで、なぜ出土した製塩土器は、「あし」の部分だけなのでしょうか。

それは、「うつわ」の部分がこわれてなくなってしまったことによるものです。
土器のすきまに塩分が入り込むと、土器はとてももろくなります。また、
熱効率を上げるため、「うつわ」はもともとうすく、こわれやすく作られていました。

この製塩土器は、わずか3センチぐらいの小さな破片ですが、ふるさとでくらした先人の様子や、
古代の蒲郡で塩作りが行われていた事実を、今の時代に伝えています。

製塩土器 製塩土器のしくみ