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赤日子遺跡発掘調査 概要

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年3月1日更新
※「広報がまごおり 2001年6月15日号」より抜粋しました。

 赤日子遺跡 環濠(かんごう)土器出土状況地図

赤日子遺跡の環濠(かんごう)を西から見たところ(土器の出土状況)と周辺の地図

調査事由

市史編さん事業に伴う発掘調査

所在地

蒲郡市神ノ郷町宮前地内 ※ 調査後に埋め戻されており、現在はみかん畑になっています。

調査期間

前期(K地区) 平成13年2月15日から3月15日
後期(T地区) 平成13年3月14日から4月25日

調査対象面積

前期 約100平方メートル
後期 約400平方メートル

調査機関

蒲郡市教育委員会(蒲郡市博物館)

弥生時代の集落跡

蒲郡市内では、地表面に弥生土器片が散らばっている地域が何ヵ所かあり、弥生人たちの生活していた跡が埋まっているのでは、と考えられています。
とくに今回調査された神ノ郷町地内の赤日子神社付近は、たくさんの弥生土器片がミカン畑や空き地に散乱していました。
約40年前の昭和37年には、神社から東南へ約100メートルのミカン畑の一角から完形に近い弥生土器がいくつか発見されており、「赤日子神社周辺には弥生時代の集落跡があるのではないか?」と考えられていました。

調査概要

今回の発掘調査は、前・後期の2期に分けて行われました。
前期(K地区)の調査については、神ノ郷児童遊園地の東側に隣接するミカン畑の所有者の協力を得て、約100平方メートル(5×20メートル)の調査区を設定し、実施されました。
K区の調査では、調査開始後2日目で、調査区域の北端で環濠の一部、約5メートルが確認されました。K区では、その他にピット(杭穴や柱穴)がいくつか見つかりました。

さらに、K区の東側に隣接するミカン畑の所有者の協力も得られ、K区で確認された環濠の続きを追いできることになりました。後期(T区)の調査については、調査区域約400平方メートルが実施されました。
T区では、K区で確認された環濠の続きが、延長25メートルにわたって検出されました。
また、環濠の近くから、多数のピットや、人を埋葬したのでは、と考えられる直径1メートルあまりの穴も見つかりました。

T区調査区内の南域からは、住居跡や食物を土中に保存するための大きな穴も確認されました。
今回の調査で確認された赤日子遺跡の環濠は一部分だけですが、約30メートル分の検出部分は、やや南方向に湾曲しているものの、ほぼ直線状でした。
長い間に溝の上部は削り取られたと考えられますが、発掘で検出された溝の幅は約2メートルで、深さは約1メートル、溝の断面形は上部がやや広がったU字形です。
環濠内には、おびただしい量の土器が土砂と一緒に埋められていて、とくに溝の上層部は土器片がびっしりと詰まった状態で、部分的には土砂よりも土器片が多いところもありました。

環濠内の土器の量から考えて、この赤日子遺跡環濠集落「赤日子ムラ」の構成人口は、20人から30人という少数ではなく、かなりの人数で構成されていたことが想像されます。

出土品

今回の発掘調査で、約30メートルの環濠部分から出土した土器は、コンテナに約70箱で、その数は2万点を超える量になります。
それらの中には、わずかなキズだけの完形に近い土器も数点あり、破片をつなぎ合わせて復元できるものも相当数あります。

土器の種類は、壺(つぼ)・甕(かめ)・高杯(たかつき)などで、それらのほとんどが考古学上で「寄道(よりみち)式」とよばれる弥生時代後期(3世紀中頃)の土器です。したがって、「赤日子ムラ」の環濠は、およそ1750年前に埋められたと推定することができます。

環濠からは、石斧(せきふ)や磨石(すりいし、植物や木の実などをすりつぶす道具)などの石器、土錘(どすい、魚をとる網につけた孔のあいたオモリ)や紡錘車(ぼうすいしゃ、糸をつむぐ道具)などの土製品、そして板状の杭も見つかっており、当時の弥生人たちの生活を垣間見ることができます。

今回の発掘で出土した土器の内、復元した土器の一部を歴史展示室にて公開しています。
また、現在もなお、土器の土を1点ずつ洗い落とし、乾燥させて、復元や分類などの整理作業をすすめています。

赤日子遺跡出土土器