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蒲郡の歴史と文化財 大塚町の丸山古墳

ページID:0126991 更新日:2015年7月11日更新 印刷ページ表示

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大塚町の丸山古墳

3世紀の終わりごろから、7世紀までを古墳(こふん)時代といいます。

このころ蒲郡においても、たくさんの古墳(むかしの豪族(ごうぞく)のお墓)が造られました。

それらの古墳は、現在、姿をとどめているものもあれば、
開発などによって失われてしまったものもあります。

大塚にあった「丸山古墳」を紹介したいと思います。

「大塚」の「塚」は「古墳」のことで、「大きい古墳」もしくは「多くの古墳」を意味し、
それが地名の由来となったとも言われています。

蒲郡市の一番東側、豊川市御津町とのさかいあたりに市営丸山住宅があります。

ややご年配の方には、「むかしバラ園があった場所」として知られているところです。

ここには5世紀後半(いまから1500年くらい前)に
造られた古墳(丸山古墳)があったと考えられています。

現地に行ってみても、残念ながら今では古墳のおもかげはみられません。

しかし、付近からは埴輪(はにわ。古墳の上やまわりに置いた焼き物)が出土しているので、
ここにむかし古墳があったことがわかっています。

この丸山古墳には、どのような人が葬(ほうむ)られたのでしょうか。
文字による記録がほとんど残っていない時代なので、想像するしかありませんが、
三河湾を見おろす小高いおかに造られていますから、
海上交通を支配した豪族のお墓ではないかと言われています。

えんとうはにわ

丸山古墳から出土した円筒埴輪(えんとうはにわ)