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創立された年代は不明ですが、「総国風土記」に674年(天智天皇甲戌)に、宝飯郡赤日子郷赤日子神社より寄進があったとの記事があり、この頃には創立されていたことが伺われます。祭神は、綿積豊玉彦命(わたつみとよたまひこのみこと)彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)です。長野県南安曇郡穂高神社でも安曇連(あずみむらじ)の祖であり綿積豊玉彦命が祖神とされており、この地との関係が想像されます。
さらに、三河地方は養蚕の伝統が古くからあり、なかでも赤日子神社は養蚕の祖神をまつる代表的な神社で、拝殿の西には養蚕祖神をまつる塚があります。渡来族である安曇族が養蚕を日本にもたらしたことを考えると、渥美(あつみ)半島からこの地方にかけて、古くは安曇族の勢力下にあったことが伺われます。
養蚕祖神の塚
赤日子神社は、蒲郡で最古の式内社ですが、「文得実録」で、赤日子神社が851年(仁寿元年)に従5位下を授かったとあります。その他の文献では、さらに865年に従5位上、876年(貞観7年)正5位下を授かったとあります。次々に位を引き上げられたことから、この地方の豪族の豊かさが想像され、赤日子の古名である赤孫郷の範囲は、神ノ郷・坂本・清田、水竹・五井・柏原・西迫・竹谷、蒲郡・小江であり、当時は蒲郡の中央部を支配していたと考えられます。今では、山の手にありますが、当時は、海が入り込んでおり、近くの落合川付近は深い入り江となっていたため、比較的海に近かったらしく、神ノ郷がこの地方の中心となっていたようです。
赤日子神社は、雨乞いでも知られていますが、神社西の聖山山頂の通称「お皿様」はこの神社の奥の院にあたります。
昭和37年には、神社東のミカン畑から、多数の土器が発見されました。続いて、平成11年以後の調査で、環濠(かんごう)の一部が発掘されました。環濠は、弥生時代の集落の周囲に張り巡らされた溝で、外からの敵の侵入を防ぐための施設と考えられています。このことから、3世紀ごろの弥生時代に、直径が100メートル以上の相当大きな環濠集落「アカヒコムラ」があったことが想像されます。
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