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蒲郡西部小学校 上ノ郷城と鵜殿氏

ページID:0015672 更新日:2011年3月1日更新 印刷ページ表示

上ノ郷城と鵜殿氏

上ノ郷城は鵜殿氏の居城でした。松平元康(後の徳川家康)、竹谷松平清善らと戦った1562年(永禄5年)の上ノ郷合戦で落城し、城主鵜殿長照は戦死しました(他の説もあります)。この戦いでは、松平方の忍者が活躍をしたと伝えられています。その後、残された子どもの氏長、氏次兄弟は捕らえられ、人質交換などを経て、家康に従うことになりました。領地は家康家臣の久松俊勝に与えられ、上ノ郷城は久松氏の居城となりました。

上ノ郷城跡は蒲郡市域の城跡のなかで、保存状態がもっとも良いものです。市の中央部、高さ15メートルほどの小丘上にあり、そこからは、ほぼ市全域を見渡すことができます。また、兼京川が城跡を囲むように北から東、そして南に回り込むように流れ、天然の濠の役目を果たしています。現在の上ノ郷城跡は一面みかん畑となっていますが、空堀と土塁がよく残り、主郭の隅には井戸跡があります。城跡正面左手の土塁の上に城址碑があります。また、城跡から南西に100メートルほど離れた場所に熊ヶ池がありますが、この池はその北側に残る土塁と堀につながる堀跡であると考えられます。

上ノ郷城跡 諸国古城之図「三河 上之郷」 広島市立中央図書館・浅野文庫

上ノ郷城縄張り図 上ノ郷城縄張り図  愛知県中世城館調査報告書3

城跡(主郭)から見た南側の風景

城跡(主郭)から見た南側の風景

遠く渥美半島、西浦半島が見える。