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藤原俊成顕彰会
藤原俊成顕彰会について
藤原俊成卿は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて活躍した歌人であり、『千載和歌集』の選者として知られています。息子藤原定家も、父同様、歌人として有名でした。
名前は「としなり」とも「しゅんぜい」とも読まれます。
大変長命な方で、元久元年(1204)に91歳で亡くなられました。
「藤原俊成顕彰会」は、平成20年5月、俊成卿の功績をたたえ、俊成卿と蒲郡とのかかわりを広く世間にアピールするために結成されたものです。
蒲郡開発の祖
俊成卿が三河国司をつとめたのは、久安元年(1145)12月から同5年(1149)4月までの3年5カ月の期間でした。
32歳から36歳までの間、藤原顕広となのっていたころです。
藤原俊成卿像:竹島橋のたもと(俊成苑)に建立されています
俊成卿は、三河湾に面して温暖な気候の当地を大変好んだと伝えられます。
当時クスノキなどが群生していた荒地の開発をおしすすめて、「竹谷荘」「蒲形荘」を開発し、蒲郡の礎を築きました。
『吾妻鑑』という歴史書には、竹谷・蒲形荘を開発した人物として、俊成卿のお名前が記されています。
竹島・八百富神社を勧請
蒲郡市には、俊成卿ゆかりの地がいくつかあります。
竹島は、観光都市蒲郡のシンボルであり、国指定の天然記念物です。
島全体が八百富(やおとみ)神社の境内地であり、「竹島の弁天様」として親しまれています。
左:竹島 / 右:八百富神社 社殿
この八百富神社の祭神・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)は、俊成卿が三河国司のころ、琵琶湖に浮かぶ竹生島から勧請されたものです。
開運・安産・縁結びの神様として知られています。
蒲郡にのこる俊成卿伝説
蒲郡駅の北側、今の小江神社の西あたりに、俊成卿の屋敷があったと伝えられています。
『三河国名所図会』など、三河の地誌類には、当地と俊成卿とのかかわりについて多く記しています。
大島や 小島がさきの 仏嶋 すずめの森に 恋の松原 これは俊成卿が蒲郡の地で詠んだとされる歌です。
「すずめの森」は「涼みが森」ともいわれています。
スズメがたくさん集ったから、俊成卿が夏の暑い日に涼んだから、などのいわれがあります。
現在、蒲郡駅の南東、交差点の角に「すゞみが杜(すずみがもり)」の石碑が建てられています。
「すずみがもり」の石碑
むかし蒲郡の海岸には多くの松が生い茂っていました。
「恋の松原」は、今の港町から松原町や竹島町にかけて、かつて広がっていた松原です。
蒲郡開発の祖である俊成卿によって植えられたものという言い伝えがありました。
千歳神社と冷泉家
八百富神社の境内にある千歳神社は、俊成卿を祭神とする神社です。
和歌の神、長寿延命の神として、世間の人にあがめられています。
千歳神社と参拝客
蒲郡市は、俊成卿のご子孫である冷泉家ともご縁があります。
八百富神社遥拝所には「竹島の 緑久しく 茂らなむ 植えにし人の その名もろとも」と書かれた石碑があります。
これは冷泉家22代当主、冷泉為系伯がいにしえに思いをはせて詠まれた歌です。
八百富神社遥拝所 冷泉為系伯歌碑
また、蒲郡市では、毎年、国内の著名な歌人を選者としてお招きして、「俊成短歌大会」を開催し、俊成卿の余徳をしのんでいます。