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プレミアム映像-蒲郡の偉人

ページID:0046967 更新日:2012年8月9日更新 印刷ページ表示

「蒲郡の魅力、再発見。」をテーマに、三河湾ネットワーク株式会社へ制作を依頼した映像です。
蒲郡の魅力の数々を映像でご紹介します。

蒲郡の偉人

弓道に生きる-塩野静雄-

愛知県は弓道のさかんな県であり、蒲郡の体育センターには県大会なども行われる弓道場がある。
「1本1本みな新しい気持ちで射る」という信念のもと地道に弓道とともに歩き、
昭和19年皇居内の天覧試合を果たし、昭和39年東京オリンピックでは競技役員を務めた。

塩野静雄(平成25年6月)
再生時間2分59秒ビットレート764Kbps/映像・三河湾ネットワーク株式会社

三河織物育ての親-舞田寿三郎-

舞田寿三郎農業の兼業として行われていた三河の織物。
それを三河織物同業組合の設立や、織機の動力化を行い、
蒲郡の産業として誇りをもち、発展させることに尽力した。

舞田寿三郎(平成25年4月)
再生時間3分32秒ビットレート764Kbps/映像・三河湾ネットワーク株式会社

形原麻網の元祖-小島喜八-

小島喜八形原に生まれた小島喜八。持ち前の器用さと几帳面さで、彼が作る麻繊維の製品は
大変評判がよかった。そのような製品を「誰が作っても同じ品質の製品を作る」ため、
機械化に挑み、自身の技と、完成した機械とで、形原麻網発展の種をまいた。

小島喜八(平成25年2月)
再生時間3分06秒ビットレート764Kbps/映像・三河湾ネットワーク株式会社

蒲郡の音楽は日本一-山本誘-

蒲郡中学校吹奏楽全国コンクール3年連続優勝。
かつてない成績をもたらし、蒲郡の吹奏楽の基盤をつくった山本誘。
その精神は「音楽のまち がまごおり」として今も根付いている。

山本誘(平成25年2月)
再生時間4分04秒ビットレート764Kbps/映像・三河湾ネットワーク株式会社

大衆の心をつかんだ映画人-松山英夫-

昭和26年ベネチア国際映画祭にてグランプリを受賞した「羅生門」。
この映画のプロデュースに携わったのが松山英夫である。
西浦町の「癌封じ寺」、大型連休の「ゴールデンウィーク」の名付け親とも言われている。

松山英夫(平成24年12月)
再生時間3分59秒ビットレート764Kbps/映像・三河湾ネットワーク株式会社

俳句で蒲郡の名を全国に広めた-岡田耿陽-

岡田耿陽高浜虚子に師事し、虚子が没するまで深い師弟関係にあった岡田耿陽。
新人ながら、俳誌『ホトトギス』の巻頭に作品が掲載されるなど活躍し、「漂へるもののかたちや夜光蟲」は、日本に蒲郡あり、蒲郡に岡田耿陽ありと知られる代表句となる。

岡田耿陽(平成24年6月16日)
再生時間3分34秒ビットレート764Kbps/映像・三河湾ネットワーク株式会社

観光・蒲郡の礎を築いた-大村賢次-

大村賢次12年間、蒲郡町の町長を務めた大村賢次。国際観光ホテル建設の誘致を行い、全国40余りの自治体が申請する中、最初の内定を獲得。観光・蒲郡の名を全国にとどろかす「蒲郡ホテル(現:蒲郡クラシックホテル)」を建設する。

大村賢次(平成24年4月21日)
再生時間4分00秒ビットレート764Kbps/映像・三河湾ネットワーク株式会社

子どもの人権を訴えた教育者-金沢嘉市-

金沢嘉市子どもの視線に立ち、子どもの気持ちを第一に考えた教育者・金沢嘉市。
教師を退職後は、豊富な現場経験をもとに、執筆活動や講演活動に力を注ぎ、「人間にくずはない」「だれにもピカリと光る何かがある」の言葉を残す。

金沢嘉市(平成24年2月18日)
再生時間3分45秒ビットレート764Kbps/映像・三河湾ネットワーク株式会社

西浦の開発に尽くした-岡田紋三郎-

岡田紋三郎今から約60年前、地域の発展に奔走し現在の西浦町の礎を気づいた岡田紋三郎。
西浦村長、漁業組合長などを務め、後に西浦町の初代町長となる。西浦町の基盤整備や産業振興に大きな功績を残した。

岡田紋三郎(平成23年12月17日)
再生時間3分28秒ビットレート764Kbps/映像・三河湾ネットワーク株式会社

蒲郡出身の名横綱-玉の海-

玉の海46場所469勝221敗優勝6回の成績を誇る蒲郡出身の名横綱玉の海。
横綱在籍中であった当時、病気によりわずか27歳の若さで亡くなる。玉の海の波乱に富んだ人生に迫ります。

玉の海(平成23年10月15日)
再生時間3分20秒ビットレート764Kbps/映像・三河湾ネットワーク株式会社

蒲郡の美しい自然を句にした-鈴木煙浪-

鈴木煙浪俳誌『三河』を主宰として長い間支えた鈴木煙浪。作品は、自然とともに生きる人の姿や人とかかわる自然の姿への愛情を込めた句が多いのが特徴で、18歳で全国の俳句愛好家の頂点に立つ。

鈴木煙浪(平成23年8月20日)
再生時間3分14秒ビットレート764Kbps/映像・三河湾ネットワーク株式会社

竹島を開いた恩人-瀧 信四郎-

滝信四郎明治時代、静養のために訪れていた蒲郡の海岸線の美しさに心を奪われ、竹島橋をはじめ旅館「常磐館」、蒲郡ホテル(現在の蒲郡クラシックホテル)などを多額の私財を投入し、建設。建設した竹島橋などを蒲郡市(当時は蒲郡町)に寄付するなど、観光のまち蒲郡の礎を築いた。

瀧 信四郎(平成23年4月23日)
再生時間3分03秒 ビットレート764Kbps/映像・三河湾ネットワーク株式会社

鉢地坂トンネルの父-尾崎市右衛門-

尾崎市右衛門昭和8年に開通した「鉢地坂トンネル」。当時まで、蒲郡は北との交通が山々によって遮断され、このトンネルの開通は地元住民の悲願でもあった。このトンネルの開通に当時の西宝地区の総代(現在でいう市長のようなもの)であった尾崎市右衛門が立ち上がる。

尾崎 市右衛門(平成23年6月18日)
再生時間2分44秒ビットレート764Kbps/映像・三河湾ネットワーク株式会社