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蒲郡北部小学校ー静里紹介ー勝善寺

記事ID:0015879 更新日:2011年3月1日更新

勝善寺

勝善寺

勝善寺は、明治十四年(1881)の記録によると、この寺は、土御門天皇(つちみかどてんのう)の承元年中(1207-1211)に、高野山の助源法師という人が、諸国を旅している時、この地を通りかかり仏法に因縁深い土地だと、三か所に堂宇をつくり、熊野三山の尊を移してお祭りし、永尾山勝善寺と名前をつけました。最初は、公民館の所に、観音様を安置していましたが、後に山の上に移し変え、この辺りを観音田と呼んでいます。

表参道の石段

表参道の石段領主の松平主水(まつだいらもんど)に納める年貢の金に困り、村中で相談した結果、観音様の金を借りて、年貢の金を納めました。しかし村では、その金の返済ができなくなり、領主、松平主水にお願いして石段を作り、それで返済した事にしてもらいました。

身代わり観音

身代わり観音は、勝善寺の本尊で高さ九十センチほどで、行基のさくと言われています。紀伊国(和歌山県)中山寺観音、坂本観音、三ヶ根観音は三体で一対の仏だと言われていますが、はっきりした事は、分かっていません。この勝善寺の本尊は、千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)といい、年代的にはかなり古いといわれています。

梵鐘

勝善寺は寛喜2年(1230)の銘のある国の重要文化財になっている梵鐘があります。じゅ銅製で、大きさは、高さ120cm直径60cmほどで比較的小さいもの。銘文に熊野社領蒲形にあった熊野関係寺院の薬勝寺の名前があり、このあたりが熊野三山の勢力にあったことをうかがわせます。永禄5年(1562)上ノ郷城落城のさい勝善寺も戦火をこうむり炎上、この鐘も土の中に埋没しましたが、文化年間(1804-1818)に掘り出されています。なお、この梵鐘は、現在蒲郡市博物館に移されており、この寺には複製品がうるされています。観音堂にあった梵鐘は、もとから観音堂のもとではなく、山伏たちが合図用に使ったものかそれとも里への往来の魔よけんとして使ったものではないかと言われています。

鐘突き堂梵鐘道標


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