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蒲郡の歴史と文化財 合併までのあゆみ

ページID:0127089 更新日:2015年8月6日更新 印刷ページ表示

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合併までのあゆみ

宝飯郡は古くから3つの地域に区分され、一番西寄りの地域(三谷町・蒲郡町・塩津村・形原町・西浦町)は、
「西宝地区」とよばれていました。
この5町村で昭和21年に設立された西宝商工会議所に後に大塚村も加わって、6町村が行政区域を越えて一体となり、
地域の発展に寄与してきました。

将来のために西宝地区の早期合併が必要であるという考えは戦前からありましたが、具体的な運動が始められたのは
昭和20年代後半になってからでした。
昭和28年9月25日に愛知県を襲った13号台風によって大きな被害を受けた各自治体は、災害復旧対策などを
協力して行う一方で、町村合併促進法の施行をうけ、市制施行に向けて始動しました。
10月22日に、蒲郡町が三谷町・塩津村・形原町・西浦町に合併問題の協議と市制施行促進の申し入れを行い、
11月14日に大塚村へも合併を申し入れました。

しばらく見合わせる旨を回答した大塚村・西浦町を除く4町村で協議が進められましたが、形原町は昭和29年2月に
行った住民投票での反対多数という結果をうけて協議会を離脱しました。
三谷町は一時協議会に不参加状態でしたが住民投票で合併賛成となりました。

昭和29年4月1日、紆余曲折の日々を経て、まず三谷町・蒲郡町・塩津村の3町村が合併して「蒲郡市」が生まれました。
その後、昭和30年10月1日に大塚村が分村合併(赤根・大草は御津へ)、昭和37年4月1日に形原町、
翌38年4月1日に西浦町が合併し、町村合併促進法施行から約10年の歳月を経て、ようやく6町村の一体化が
実現したのでした。

形原町合併(昭和37年)

形原町合併(昭和37年)
 逸見(へんみ)蒲郡市長(左)と、壁谷(かべや)形原町長(右)