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蒲郡の歴史と文化財 伊能忠敬の蒲郡測量

ページID:0148515 更新日:2016年10月9日更新 印刷ページ表示

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伊能忠敬の蒲郡測量

現代では、現在地や目的地までのルートをGPS(全地球測位システム)で簡単に検索できます。
これらを利用できるのも、全国を測量して正確な地図を作成してくれた先人の努力あってこそです。

日本で初めて実際の測量による詳細な地図が作成されたのは江戸時代末頃、
千葉県出身の伊能忠敬によるものでした。
1800年に幕府に願い出て、現在の北海道を測量する許可を得たのを皮切りに、
忠敬は以後17年、計9回におよぶ全国測量の旅をしました。

その中で、忠敬が蒲郡付近を訪れたのは、1803年4月14日から16日までの3日間で、
複雑な海岸線を測量するために、歩いていく陸上組、船を利用する海上組に分かれて実測しました。
この日付は旧暦ですので、現在の暦でいうと6月初め頃にあたります。
梅雨入り前後の時期ということもあってか、宿泊した2晩ともあいにくの曇り空で天体観測をしなかったことが
忠敬の測量日記に記されています。

それからちょうど200年の節目にあたる平成15年4月、記念碑建立委員会の手によって、
忠敬が宿泊した三谷・西浦それぞれの宿泊地跡に記念の石碑が建立されました。
伊能忠敬が、測量に必要な技術を学ぶために江戸に出たのは、50歳で隠居した翌年のこと。
現代でいうと定年を迎えてから新たな知識や技術を学び始めたことになります。
「六十の手習い」ということわざもありますから、学問を始めるのに遅いということはありません。
忠敬の学びへの姿勢を見習いたいものです。

伊能忠敬蒲郡測量 宿泊地跡の石碑

伊能忠敬蒲郡測量 宿泊地跡の石碑(右側)

これは西浦村での宿泊地であった入戸野(にっとの)氏宅の跡地に建てられたもの。
三谷村の宿泊地であった本多氏宅の一角にも同デザインの石碑があります。