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蒲郡の歴史と文化財 戦前の観光会議

ページID:0126999 更新日:2015年7月11日更新 印刷ページ表示

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戦前の観光会議

昭和10年(1935)のある日、蒲郡の地に観光客をよびこむため、
蒲郡駅長を主催者として、地元の人、観光関係者などが集まって会合が開かれました。

この時の模様は「西宝景勝地 振興座談会 記録」という資料にくわしく記されています。

その時に出された意見のいくつかを紹介しますと…
「蒲郡に来ても、3から4時間であきてしまう」
「西浦の石切り場で『ロック・クライミング』をやってはどうか」
「海水浴ばかりではなくハイキングも充実させよう」
「竹島と三谷の乃木山をセットにして宣伝するといい」
「昨年、海女さんを呼んだが失敗した」
「大島を一周する道路をつくっては」
「常磐館の庭園を無料で開放していただきたい」

当時も観光客をよびよせるため、いろいろ苦心していた様子がうかがえます。

昭和初期は、蒲郡が観光都市として大きく飛躍した時期でした。

この間の出来事としては、昭和4年の三谷駅開設、7年の竹島橋架橋、
9年の蒲郡ホテル(現在の蒲郡クラシックホテル)開業などが挙げられます。

「観光蒲郡」の基礎はこの時にかためられたといえるでしょう。

また、戦前には五井山の頂上に、地下は食堂・売店、1階は大ホール、
2階は宴会・宿泊場、3階は展望台とする大型の観光施設「蒲郡城」を築造し、
ふもとからロープウェーで登れるようにするという壮大な計画もあったそうですが、
これは日中戦争が始まったことにより実現されませんでした。

五井町の妙善院さんの北東にある豊川用水ポンプ場が、
ロープウェーの駅がつくられる予定地だったと地元では伝えられています。

がまごおりほてるしょうわじゅうねんごろ

蒲郡ホテル(現蒲郡クラシックホテル)、昭和10年頃