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慶長17年(1612)、蒲郡にとって重大なできごとがありました。
かつては竹谷(たけのや)地域のお殿様であり、このころには吉田藩(現在の豊橋市付近)3万石の大名になっていた
竹谷松平家の当主・忠清(ただきよ)が、4月に急病で亡くなったのです。
この時、忠清は28歳。
慶長15年に父の家清(いえきよ)が45歳で亡くなってあとを継いでからまだ1年半ほどしか経っておらず、
たいへん困ったことに、忠清のあとを継いでくれる男子がいませんでした。
江戸時代の初め頃は、跡継ぎがきちんと決められていない状態でお殿様が亡くなった場合、その家は
絶えてなくなるというルールでした。
ですから、本来なら竹谷松平家は忠清の代でおしまいになってしまうところでした。
しかし、
などから、忠清の弟の清昌(きよまさ)があとを継ぐことを認められました。
この年の11月、松平清昌は、深溝(ふこうず)松平家の松平忠利(ただとし)が治めていたお隣の深溝藩から
東半分(他は現在の幸田町)を受け継ぐ形で、5000石のお殿様になりました。
支配地を記した「知行目録」からは、清昌が
を治めていたことがわかります。
西迫だけ他の村から離れていたり、新井形がすっぽり抜けていたりしますが、石高が合計5000石になるよう
調整したのでしょう。
竹谷松平家が治めていた3万石の吉田藩は、清昌と交代するように深溝松平家の松平忠利がお殿様になりました。
(左)松平忠清・(右)松平清昌の画像〈部分〉 天桂院・蔵
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蒲郡市
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