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蒲郡の歴史と文化財 まぼろしの鉄道路線

ページID:0126998 更新日:2015年7月11日更新 印刷ページ表示

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まぼろしの鉄道路線

東京都千代田区、かつての江戸城北の丸に、「国立公文書館」という国の機関があります。
戦前の行政に関係する資料を多く保管している施設です。

ここにひとつの興味深い書類が保管されています。「まぼろしの鉄道路線」に関する資料です。

大正10年(1921年)、三河鉄道株式会社(本社刈谷)は、
蒲郡駅と豊川稲荷を直接むすぶ鉄道の建設を計画し、
許可を得るため、申請書を国(当時の鉄道省)へ提出しました。

その路線というのは、蒲郡駅を始点として、府相・三谷・大塚と東へ進み、
旧御津町の西方海岸のところで左折、そのまま北へ上がって、国府へいたり、
以下、八幡・諏訪・金屋、そして終点の豊川稲荷へと続くものでした。

申請の結果は、どうだったのでしょうか?
鉄道省は、「現在の状況において必要性がみとめられない」と回答、建設の許可はおりませんでした。

蒲郡市と豊川市は、かつて宝飯郡に属していた地域です。
現在、電車で蒲郡から豊川の中心部へ行くには、
一度、豊橋駅まで出てから、飯田線や名鉄線に乗り換える必要があるので、少し手間がかかります。

もしこの計画が実現していたら…わたしたち蒲郡市民は、
お正月のお稲荷さん参拝や、運転免許センターでの更新手続きに、電車で、乗り換えなしでいけたわけです。

蒲郡の町の発展も、またすこしちがったものになっていたかもしれません。

まぼろしのてつどうけいかくにかんするぶんしょ

まぼろしの鉄道計画に関する文書