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蒲郡の歴史と文化財 寺子屋と筆子塚

記事ID:0136138 更新日:2016年2月11日更新

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寺子屋と筆子塚

平成27年10月24日から11月23日まで蒲郡市博物館で開催していた企画展「永島岸翠とその時代」では、
江戸時代後期に活動していた上ノ郷村(現神ノ郷町)出身の画家・永島岸翠(ながしまがんすい)の
生誕200年を記念して、その作品を展覧しました。
あわせて、岸翠もたしなんでいた俳諧の資料を通じて、岸翠と近しい人々を取り上げ、その中で寺子屋の
師匠をしていた永島藤十郎治重と竹内半右衛門も紹介しました。
明治5年8月に学制が公布され、近代教育制度が始まる以前の庶民の教育機関は寺子屋でした。
愛知県教育委員会『愛知県寺子屋一覧(愛知県教育史 古代・中世・近世編 別冊)』によれば、
蒲郡市域には、およそ80ヶ所の寺子屋があり、その多くは19世紀中頃の天保期以降に開設されました。
「寺」の字が示すように、市域の半数以上の寺院には寺子屋が設けられており、僧侶がその師匠を務めていました。
それ以外にも、医者や神官、武士、旧家の当主などの知識人層が師匠を務めた寺子屋がありました。
永島藤十郎治重や竹内半右衛門は、上ノ郷村の庄屋を務めながら、寺子屋で十数人の子どもたちに教えていました。
子どもたちは7歳前後で寺子屋に入り、筆子と呼ばれました。指導を受けるのは3年から5年ほどであったようですが、
学習期間を終えても、寺子屋の師匠と筆子の間には生涯師弟関係が続く深い絆がありました。
師匠が亡くなると、故人を偲ぶ筆子たちによって墓や塔が建立されました。
そのことを示す「筆子中」の文字が永島藤十郎治重や竹内半右衛門の墓石にも刻まれています。
このような墓は「筆子塚」と呼ばれており、市域でも40基あまり確認されています。

永島藤十郎治重の筆子塚

永島藤十郎治重の筆子塚(神ノ郷町)